ペンドルトンの歩み
150年前のアメリカと言えばまだ、西部開拓時代の真っただ中だ。フロンティアを求めて人々は西へと旅をし、命を懸けて自らの生活を切り開いていた。
ペンドルトンの創業者トーマス・ケイもその一人で、若き職工だった彼は4か月の長い旅を経て西部を目指した。アメリカになったばかりの北西部で、生まれたての毛織物工場の責任を任されるようになり、そして1889年、ついにオレゴン州に自分の工場をオープンする。小売商のビショップ家と合流することで販路を安定させながら、ペンドルトン毛織物工場の伝統はこうして始まった。
羊の生育とウールの生産に適した条件を持つ、穏やかな気候そして豊富な水資源。オレゴンの自然の恩恵を受け生まれる高品質な毛織物は当初、ネイティブアメリカン向けのベッド用毛布やローブとして生産されていた。ビショップ家は周囲で親密な関係を築いていたインディアン部族たちの好みや伝統を学び、鮮やかで複雑なパターンを毛織物に乗せていく。誰の目をも惹いたペンドルトンの毛布はネイティブアメリカンたちの間で愛され、日常で纏われ儀礼にも用いられ、その毛布の価値が取引の基準単位にすらなった。
「狂騒の20年代」の好況に乗りペンドルトンはウェア部門へと事業を拡大し、ウールシャツやレディースのカジュアルウールウェアなど、様々なヒット商品を断続的に生み出していく。70年代には非ウール製品のウェア展開を開始し、現在に至るまでアメリカの代表的なスポーツウェア提供元であり続けている。
ペンドルトンはアメリカ企業にしては珍しく、6代にわたり創業者一族で会社を守り、織物職人の技とともにアメリカの伝統を残そうとしている。彼らがインスピレーションを得たインディアン柄は今や全世界で愛され、誇り高いインディオに捧げられた「チーフジョセフ」柄を最高のウールブランケットで纏うことは誰にとってもステータスだ。
オレゴンの環境、ネイティブアメリカンたちとの交流、アメリカの辿った幾多の激しい歴史や幸せな記憶が一緒くたになって、今日もペンドルトンに紡がれている。世界中の家族に、それは無言で届けられ、手触りを通じて伝統は語られていく。