オスプレーパックに見る「美」とのかかわり
オスプレー創業者のマイケル・プフォテンハウアーは16歳の頃、早くも家族のために、母に裁縫を助けてもらいながら快適に背負えるパックづくりを始めていた。
自分の中にゆるぎないパックの理想像が早くから確立していたのだろう、40年と少し前に、マイケルはミサゴの名を冠したバックパックブランドを立ち上げる。
オスプレー、すなわちミサゴは当時、絶滅の危機に瀕する希少種だった。その優美な飛翔の姿と、稀なる存在価値に自らの理想を重ね、未来への展望を託したのだろうか。まだ彼は当時21歳の若さで、芸術を専攻していた画学生でもあったというが、趣味の登山と、自らの芯となる芸術性の融合を目指し、理想のパックづくりに向けて羽ばたきだしたのだ。
オスプレーパックの魅力を一言で言うなら、その背負い心地のよさだろう。背面が優美なS字カーブをゆるやかに描き、すっとパックが体に寄り沿ってくる。肩ハーネスはまるで、誰かの手がそっと肩を抱くような自然さで、荷重を体に載せてくれる。芸術畑で培われたデザインの力が、細部にわたる母譲りの緻密な縫製で具現化され、さまざまな名品パックが生まれた。
カスタムメイドだったマイケルのオスプレーパックは瞬く間にバックパッカーの間で大人気となり、すぐに手先が器用なナバホ族職人たちの助けを得て、丁寧な手仕事そのままに量産され始める。生産拠点を国外に移してからも品質へのこだわりは変わらず、マイケルは拠点であるベトナムへ家族とともに移住してまで品質管理と縫製技術の維持に努め、自信があるからこそ保証もより強固なものにした。パックづくりに対するその姿勢への信頼感は絶大で、今や最も人気のあるパックブランドへと成長している。
のびやかな翼を羽ばたかせ優雅に飛んでゆく姿と、鋭い鉤爪による敏捷な狩りの姿の、どちらが欠けてもミサゴではなくなる。静と動、ゆとりと闘争心、そうした相反する要素のバランスの妙こそが、大自然に潜む真の美しさであるということに、芸術を学んできたマイケルは気づいていたのだろう。オスプレーのパックは美と技術の両輪をもって、ミサゴの輝きに近づこうとしてきた。あらゆるこだわりを、理想的なパックのために注ぎ込み、背負いやすさでハイカーたちの姿勢や歩き方までをナチュラルなものへと導いてきた。
背負いにくいパックで不要な苦労を強いられ、疲労困憊しながら肩で息をし、心の余裕をなくしてアウトドアに臨むのは、美しくない所業だ。偉大な大自然と対峙する際に、ナチュラルでゆとりある恥ずかしくない己をつくり、そうして自然と一体になろう。彼が生み出したのは、そのための、パックの形をした自然との対話ツールなのだ。
ミサゴは今、その数を回復させているという。オスプレーの築いた未来を象徴するかのように。